1975年結成のRIOTのオリジナル・メンバー、マーク・リアリが2012年1月25日サンアントニオのMethodist Medical Centerにて、
長年闘病していたクローン病の合併症により亡くなった。マークのプロダクション・マネージャー、ライティング・マネージャー、
ツアー・マネージャー兼パーソナル・アシスタントを1988年からつとめてきたデイモン・ディ・バリに看取られての最期であった。
この悲報はすぐニューヨーク在住の父親であるアンソニー・リアリ氏と、ツアー中のマイク・フリンツに電話で知らされた。
RIOTは「70000 tons of Metal」ツアー敢行中であった。クルーズの船上で訃報を受け取ったフリンツは携帯を落として取り乱したという。
RIOTはツアーを終えてすぐそれぞれの自宅に帰宅し、
フリンツはニューヨークのラジオ局Fingers and Fingers Metal Shop WBABでマークの追悼インタビューを行った。
通夜の前日にフリンツがアンソニー氏と共にサンアントニオに到着。フランク・ギルクライスト、
マイク・ディメオも同日にテキサス入りした。ボビー・ジャーゾンベクはセバスチャン・バックとのツアーを控えており、
トニー・ムーアも諸事情によって、通夜及び葬儀には列席できなかった。
Porter Loring Mortuary Northにて行われたViewing(日本で言うお通夜)は、17時から家族と友人のみ、
18時から20時までは一般向けにて行われた。会場左側に大きなスクリーン、真中には花に囲まれた棺が、
その右側には写真と日本のファンから送られた千羽鶴が飾られた。
マークは十字架のネックレスとシルバーの指輪、紫のベルベットのシャツに、黒のレザー・ベストを身につけ、
指にはギター・ピックがはさまれていた。棺の中には聖書と、1981〜82年にかけて行なわれた「FIRE DOWN UNDER」のツアーTシャツがおさめられた。
このふたつはマークが貴重品扱いにしてステージでもいつも近くに置いていたバッグの中か見つけられたもので、
長年マークのパーソナル・アシスタントを務めていたデイモンですら、そのバッグに何が入っているか知らなかったそうである。
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当日は約80名の弔問客が訪れた。中には「BORN IN AMERICA」や「FIRE DOWN UNDER」のTシャツを着た年季が入っているファンが多数見受けられた。
通夜ではマークのギター・テクニシャンだったマイク・アラタが撮影した「THROUGH THE STORM」レコーディング時の、
ミルブルック・スタジオでのコーヒー・ブレイク中の映像と、1998年来日時に於ける“Irish Trilogy”のリハーサル映像が流された。
コーヒー・ブレイクの映像では、ビデオに撮られるのがあまり好きでなかったマークが、
撮影していたアラタの冗談で大笑いしている様子が見られた。
ビデオ鑑賞後、デイモンの挨拶に引き続き、生前のマークを知る8名の弔問客からそれぞれの思い出が語られた。
1970年代からマークの友人であるサンアントニオ在住の男性やその家族、自分のお父さんがRIOTファンの若い男性、
サンアントニオでマークがいきつけにしていたレストラン「Chili's」のバーテンダーからもスピーチがあった。
中には弔問客を爆笑させたエピソードをシェアしてくれたスピーカーもおり、終始和やかな雰囲気につつまれた。
通夜の後、関係者はレストラン「Chili's」に集まり、マークを偲ぶディナーが盛大に行われた。
デイモンがViewingのために選曲したセット・リストは下記の通り。
1. Overdrive
2. The Man
3. Chains (Revolving)
4. Army Of One
5. Angel Eyes
6. 49er
7. Johnny's Back
8. Metal Soldier
9. Outlaw
10. Racing With The Devil On A Spanish Highway
11. Road Racin'
12. Still Alive
13. Swords And Tequila
14. Thundersteel
15. Tokyo Rose
16. Warrior
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本葬は翌日2月1日にSt. Mark The Evangelist Catholic Churchにて行われ、ミサの後、Holy Cross Cemeteryにて埋葬が行われた。
葬儀には、バンドからマイク・フリンツ、ドン・ヴァン・スタヴァン、マイク・ディメオ、ピート・ペレツ、
フランク・ギルクライストが家族らと共に参加した。他にはロン・ジャーゾンベクやバスター・グラント(ボビーやドンと活動していた、
サンアントニオのAGE OF REASONのシンガー)、以前RIOTのバックシンガーを務めたリガイヤ・パーキンスが列席した。
教会の大きなステンド・グラスの前に棺と写真が花と千羽鶴と共に飾られ、棺が閉められるまで人々は別れを惜しんだ。
アンソニー氏が泣き崩れた時は、ホールに集まった列席者の多くが一緒に涙した。棺が教会の本堂の中に移動され、
1時間程のミサが行われた。Pallbearers(棺を運ぶ人)は前述の歴代メンバー5人とデイモンが務め、
棺は6人の手で霊柩車まで静かに運ばれた。棺を納めた車を先頭に、
警察のエスコートをつけた墓地までドライブする車の数は20台以上に及んだ。
ニューヨーク出身のイメージが非常に強いマークではあるが、サンアントニオは彼が好んで何度も滞在を繰り返し、
そしていずれ移住しようとしていたほど気に入っていた場所である。温暖な気候と長年からの友達に恵まれ、
父であるアンソニー氏とも移住の話が進んでいたが、その希望は叶わなかった。
アンソニー氏はマークが大好きだったサンアントニオを終の住み処とする事を望んだため、
出身地のニューヨークではなくサンアントニオに埋葬されることになった。
恵まれた晴れ空の下、埋葬の儀が行われた。神父の弔辞の後に、
“Here Comes The Sun”(「THROUGH THE STORM」収録のインストゥルメンタル・ヴァージョン)が流された。
その後に白い鳩が4羽放鳩され、集まった人々の上空を羽ばたきながら飛んでいった。埋葬の後、
アンソニー氏を囲んで20名が集まり、レストラン「LITTLE ITALY」にて追悼ディナーが行われた。
バンド関係者や、1970年代からのマークの友人であるサンアントニオ在住の男性らが集まり、和やかに催された。
マークはマイク・ディメオ、ボビー・ロンディネリと共にブルーズを基にしたプロジェクトの計画を進めていたところであった。
多くのファンがマークに求めた「THUNDERSTEEL」とは趣きが違うマークの音楽を聴けるチャンスが永遠にかなわない事が非常に惜しくてならない。
アンソニー氏は苗字の「Reale」がイタリア語で「Royal」の意味だと教えてくれた。
マークの友達や世界中のファンにとって、マークはロックのロイヤリティとして永遠に心に残っていくだろう。
R.I.P. Mark, Shine On!
アンソニー・リアリ氏より日本のファンに向けたメッセージ
I appreciate your concern. You are wonderful people. Thank you millions.
God bless you all. Mark loved Japan very much.
I think he knew all the people that loved him, and he loved them, too.
皆さんの気持ちを大変ありがたく思っています。あなたたちは素晴らしい人たちです。本当にありがとうございます。
皆さんに神の御加護がありますように。マークは日本が大好きでした。マークは日本の皆さんに愛されていることを知っていたでしょうし、
彼自分も皆さんのことを愛していたのです。

※マークが受けた治療に関して、彼の家族に課された多額の医療費の負担をサポートするための寄付を受け付けています。
詳しくはwww.markreale.comをご覧ください。
写真(上より)
■「IMMORTAL SOUL」時のマーク・リアリの宣伝用写真
■マイク・ディメオ(左)とマイク・フリンツ(右)
■ミサが行なわれた教会の本堂
■埋葬された墓地の入口
■追悼ディナーの様子
■左からドン・ヴァン・スタヴァン、マイク・フリンツ、デイモン・ディ・バリ、アンソニー・リアリ、ピート・ペレツ
■マーク・リアリの写真と日本のファンから贈られた千羽鶴
text & photo by Hiromi Ohshima
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